こんにちは!みなとを応援するマスコットぽーとんです。
たくさんの方々に北海道のみなとまちの魅力を伝えるために、ブログをはじめます!
記念すべき第1回目は、北海道開拓の前進基地として重要な役割を果たした小樽市です!
旧日本郵船から小樽芸術村、そしてスイーツとみなとまちの魅力と歴史を取材してきました。
スマートフォンでも読みやすくしていくのでぜひ読んでね!
札幌駅から小樽駅までの道のり
ジョセフ・U・クロフォードとトンネル工事
小樽駅は、札幌駅から快速エアポートで30分あまりで到着します。しかしこの便利さも、先人の努力の甲斐あってのことです。
明治 4 年(1871)に小樽(手宮)と札幌を結ぶ札幌新道が建設されましたが、少しの風が吹いても越波が激しく交通の障害になっていました。
それを解決したのは、合衆国から招聘された鉄道マンのジョセフ・U・クロフォード。
彼は着任すると難事といわれた張碓に行って 1 カ月の調査を行い、トンネル工事を短期間にやってのけ、翌年の明治13 年(1880)には鉄道を敷設しました。
今の鉄道の便利さは、先人の努力の結晶なんですね。
日本近代築港の金字塔・小樽防波堤
朝里を過ぎると海面に長く伸びる人工物が見えてきます。日本近代築港の金字塔といわれる小樽の防波堤です。
手前から南防波堤、島防波堤、そして我が国で初めて外洋に建設した 北防波堤が続きます。電車は間もなく小樽築港駅に停車、次いで南小樽駅、そして終点の小樽駅に到着しました(地図①)。
北防波堤は、世界で初めて計算によって設計された防波堤である。設計者である廣井勇が初めて実用波力式を導き、それをもとに北防波堤が建設された。
中略
防波堤の建設が始まる1897(明治30)年、北海道における海陸の交通の要である小樽港は、すでに神戸と東廻りと西廻りの定期航路で結ばれ、全国海上ネットワークの一翼を担うまでに成長していた。しかし、入港船舶が急速に増加するに従い、荒天時には船舶の破損や荷痛みが続発し、北海道開拓の大きな支障になりつつあった。
近代化の遅れた日本は外国人技術者を招聘して社会基盤の整備を進めたが、彼らの力をもってしても港湾建設だけは難しかった。その最大の課題は2つ、一つは波力の計算、そして海水でも壊れないコンクリートブロックの製造方法であった。それらの世界的な課題を鮮やかに解決した廣井勇博士の設計により、我が国初の外洋防波堤として日本人だけの力で建設されたのが小樽港北防波堤である。
引用:小樽港北防波堤~北海道開拓を支えた近代港湾建設の金字塔| 関口信一郎 | 草野作工株式会社
https://www.kusanosk.co.jp/trivia/huukei/harbor-breakwater/13691
小樽駅・梁川通り・旧日本郵船小樽支店
梁川通り(都通り)と静屋通り
人が込み合う駅舎を出ると港に向かって一直線に伸びる中央通りの先端に白いふ頭が見え、その先に青い海が広がっています。緩やかな坂道を下ると、まず商店が並ぶアーケード街が見えてきます。この通り(都通り)は榎本武揚(えのもとたけあき)の雅号にちなみ「梁川(やながわ)通り」と呼ばれていました(地図②)。
また、この通りの2ブロック上側には「静屋(しずや)通り」があります(地図③)。北垣国道の雅号の「静屋(せいおく)」を訓読みして通りの名前にしたのです。
小樽駅周辺一帯は、箱館戦争を戦った榎本武揚と第4代北海道庁長官で琵琶湖疏水を完成させ京都の復興を成し遂げた北垣国道の土地でした。
市街が南の勝内川から北方に拡大してきたのに伴い、山を地均しして整備しました。その時の事情を北垣は日記「塵海」に次のように記しています。
―高知県知事になって以来、公の仕事のために財産を使い果たし負債を重ねてきたが、榎本武揚さんと相談して明治5年(1872)に払下げを受けた小樽の10万坪の土地を売って負債を無くすことができた―
北垣は営利のためではなく、人々が(永住を決意して)北海道の土地の払下げを願うようになることを期待して、率先して土地買取の模範となる土地の払下げを申し出たのでした。
さらに中央通りを下ると旧手宮線の線路が横切っています(地図④)。
幌内炭田の石炭や十勝の小豆などが運び出され、本州からの移民や物資が運び込まれた鉄路です。小樽発展の大動脈となりました。
当たり前に歩いている「道路」にも歴史が詰まっているんですね。
旧日本郵船小樽支店
この線路を辿って港に向かうと近世ルネッサンス様式の石造2階建ての端正な建物に行き着きます。
旧日本郵船小樽支店(国重要文化財)です(地図⑤)。
建物の美しい彫刻と装飾模様が見られるはずでしたが、辿りついてみると、工事中でシートに覆われ建物内部に入ることができませんでした。
日露戦争に勝利した日本は、明治39年(1906)11月、ここでポーツマス条約に基づいて、サハリンにおけるロシアとの国境を決める樺太国境画定会議を開きました。
日本の近現代史の中で、重要な会議がこの建物で行われたんですね。
運河公園
建物の前はかつて日本郵船の倉庫と船入澗があったところで、平成10年(1998)に運河公園として整備されました。
公園の中央には噴水があり、小樽港建設に貢献した廣井勇博士とその愛弟子である伊藤長右衛門の胸像が立っています(地図⑥)。
小樽芸術村
旧三井銀行小樽支店
この芸術村には運河をはさんで4つの近代建築が建っています(地図⑦)。
最初に訪れたのは、旧三井銀行小樽支店(国重要文化財)。
このルネッサンス様式の端正な建物は昭和2年(1927)に竣工しました。
外壁は北木島(岡山県)産の花こう岩で、深い軒が建物の周囲をめぐり、正面には彫りの深い5連のアーチが並びます。
玄関を入ると白く高い天井に施された模様と2階の柱に施された洗練された意匠が目を惹きます。
ホールの中央ではプロジェクションマッピングで、天井一面に波、風、雪の結晶などをイメージした幻想的な模様が次々に映し出されます。
この幻想的な映像は、馬場ふさ子さんの作品で“Si-Ki”という名前が付けられています。
ステンドグラス美術館
次に訪れたのは、ステンドグラス美術館。旧高橋倉庫と旧荒田商会の建物です。
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、イギリスで製作された教会のステンドグラスを集めた美術館とのこと。
倉庫を改造した美術館の中央には、第1次世界大戦における戦勝記念と戦没者哀悼の意を込めて製作された『神とイギリスの栄光』と題するステンドグラスが見上げるように置かれています。2階に展示された『最後の晩餐』や『カンタベリー物語』も印象的でした。
似鳥美術館(旧北海道拓殖銀行小樽支店)
つづいて旧北海道拓殖銀行小樽支店であった似鳥美術館へ。
1階にはステンドグラスを芸術の域に高めたルイス・C・テイファニーの《メモリアルウインドー希望》をはじめとする作品が並び、その素晴らしいステンドグラス制作の秘密を学ぶことができます。
2階は高村光太郎の父である高村光雲とその弟子たちの木彫の作品が企画展示されていました。
明治期に入り、日本古来の木彫の伝統が顧みられなくなった時代に、その芸術を守り発展させた人たちの作品が並んでいます。
3階では近現代の洋画と彫刻が展示されています。
エコール・ド・パリの寵児とうたわれた藤田嗣治の《カフェにて》、シャガールの《窓の前の恋人たちと花》など有名な作品もあります。
4階は近現代の日本画が展示されています。伊藤若冲、横山大観、河合玉堂などの大家の作品が展示されています。
その向かいの壁面には、日展を中心に活躍した「日展の三山」の言われた東山魁夷、高山辰雄、杉山寧と加山又造、平山郁夫の親しみのある作品が並んでいます。
西洋美術館(旧浪華倉庫)
そして最後は旧浪華倉庫だった西洋美術館へ。
アール・ヌーヴォーやアール・デコの作品がたくさん展示されていて、当時の雰囲気を楽しむことができます。
特に見ておきたいアール・ヌーヴォ―の先駆的作品である《花と鳥のいる風景》は、格子にカットされたガラスに色とりどりの花が描かれ、その周りを華やかに蝶や鳥が舞う爽やかな作品です。
ふだん着のままで、歴史ある建物の中で芸術を楽しめるのは、小樽芸術村ならではなんですね。
じつは小樽の名物グルメ「あんかけ焼きそば」・「クリームぜんざい」
中華料理店ハオの「あんかけ焼きそば」
ステンドグラス館の隣には、小樽市指定歴史的建造物「協和浜ビル」にて、35年以上営まれている、中華料理店ハオがあります。
小樽市民のソウルフードとして有名な「五目あんかけ焼きそば」を注文しました(地図⑧)。
人気メニューの「五目あんかけ焼きそば」と「海老あんかけ焼きそば」の他に、リッチで食べ応え満点な「蟹あんかけ焼きそば」がおすすめです!
小樽中国料理レストラン好 ハオ https://otaru-hao.com/
「小樽あんかけ焼そば」は、令和3年度に、文化庁の100年フードにも選ばれています。
喫茶室あまとうの元祖「クリームぜんざい」
芸術を楽しんだ後は、「クリームぜんざい」で有名な都通りの喫茶室「あまとう」へ(地図⑨)。
創業は昭和4年(1929)。「店名を「あまとう」に改名したのは昭和30年代。
昭和35年(1960)に「クリームぜんざい」を売り出しました。
粒入り餡と餅の上にたっぷりのソフトクリームがのった商品です。
コロナ禍の間は、2階喫茶室は残念ながら営業できていませんでしたが、2023年7月から営業を再開しており、2024年現在は12:00-17:00と短い時間ながら、お店で元祖「クリームぜんざい」を味わうことができます、
ほど良い甘さと餅の粘りがマッチし、ロングセラーであることが納得できるおいしさでした。
洋菓子・喫茶の小樽あまとう https://otaru-amato.com/
お店の営業日などは、公式のWebサイトからチェックしてみてください!
今回訪れたスポット
②梁川通り(都通り)
小樽駅前の中央通りから、龍宮神社から下る龍宮通りまでの区間
③静屋通り
小樽駅前の国道5号と平行に走る一本海側の三ツ山病院から小樽臨海線までの通り
④旧手宮線跡地
小樽市色内1丁目9
寿司屋通りから、北海道鉄道発祥の地・小樽市総合博物館まで続く旧国鉄手宮線(1600mの散策路が整備)
⑤ 旧日本郵船小樽支店(国指定重要文化財)
小樽市色内3丁目7−8
※保存修理工事のため、令和6年(2024)6月(予定)まで公開を中止
⑥運河公園(廣井勇博士と伊藤長右衛門の胸像)
小樽市色内3丁目6
⑧小樽中国料理ハオ(小樽市指定歴史的建造物)
色内1丁目1-2-18協和浜ビル
0134-32-0680
営業時間
11:00〜14:00/17:00〜20:00
休日 年末年始
⑨洋菓子店あまとう本店
稲穂2-16-18(小樽都通り商店街)
0134-22-3942
営業時間
1階売店10:00〜19:00
2階喫茶 休業中
定休日 木曜不定休
⑩石川啄木歌碑
JR小樽駅そばの三角市場入り口前
⑦小樽芸術村
A 旧三井銀行小樽支店(重要文化財)
B ステンドグラス美術館(旧高橋倉庫)
C 似鳥美術館(旧北海道拓殖銀行小樽支店)
D西洋美術館(旧浪華倉庫)
色内1丁目3−1(似鳥美術館)
0134-31-1033
開館時間
[5〜10月] 9:30〜17:00
[11〜4月]10:00〜16:00
変更の場合あり
休館日
[5〜10月]毎月第4水曜日
[11〜4月]毎週水曜日(祝日は翌日)・年末年始
入館料
4館共通券(一般2,900円)
A一般700円・B一般1,000円・C/D 一般各1,500円(各館共に学生割引あり)
こちらの記事は、北海道みなとの文化振興機構事務局にて、関口信一郎さん執筆の「北海道みなとまち紀行 第1号」をもとに、再構成を行いました。
北海道みなとまち紀行は
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当NPO会員の有志が書いた北海道のみなとまちの魅力を紹介する紀行文です。